タイトル

!Caution!『 この雑記は過去ログです。現行の雑記についてはトップページから入ってご覧ください。 』
■2012年09月19日(水)  新たなる相棒!
ついにこの日が来た・・・!
スカイウェイブ250typeSを売却して1年・・・遠出の足を失った。

15年選手になるライブdioZXくんも、さすがに調子を落としてきていた。
冬はもちろん、夏でも、少し乗らない時期があるとなかなかエンジンがかからない。
幸い通勤オンリーだったので、ほぼ毎日乗っていたのだが・・・それでも途中エンストなどのヒヤッとするトラブルも無いではなかった。中距離以上を乗るとすぐに白煙を吹くバイク、なかなかツラいものがあった。
そもそも、法定時速30キロ走行の原付一種では、幹線道路も走る気がしない・・・

そんな中、ついに決断して、今バカ売れの原付二種を入手したのだ!!
(もっと前から買っておけよ、と自分でも思うが・・・)


 

1997年購入、発売当時の最新鋭にして最強の原付、それが「ライブdioZX」である。
49ccの原付一種ながら、規制前と呼ばれるバイク黄金期のマシン、2ストロークエンジンは7.2馬力もある。現在のdio(4ストロークエンジン)は3.8馬力しかないことを考えると、もはや別物エンジンである。
(燃費は現行の方が格段に良くなっているけど・・・)




今日でコイツは残念ながら廃車になってしまう・・・
そのオドメーターは「20883キロ」である。4桁のメーター2周ちょっとである。
未だに、もっと古いスクーターで通勤しているおっちゃんも見るが、こちとら移動手段は完全にバイク依存の傾向があるので、不便な50ccでは限界なのだ。通勤以外は車主体の人と一緒にはできない。




原付くん最後の写真。
思えばコイツは、一度は瀕死の交通事故で廃車寸前から蘇り、一度はクランクシャフトが逝かれたので足回りをすべて新調し・・・都合二度蘇った原付なのだった。思い入れも非常に深い。
そしてもっともスタイリッシュでもっともパワフルな原付であった。
前輪ディスクブレーキも50ccには豪華装備で、シート下のラゲッジスペースもフルフェイスが余裕で入るという、実用性の高さ。
未だに爆走原チャリ小僧どもに人気があるのも頷ける。
まさしく原付のフラッグシップを手放し・・・バイク屋へ向かった。


ショップで説明書、保証書、キーを受け取り、簡単な操作説明を受ける。
ああ、新車購入ってこんな感じだったな・・・と思い返す一幕だ。
あいにくの空模様だったが、帰りも小雨がぱらつく程度で済んだ。通勤マシンとはいえ、納車から雨濡れは精神衛生上良くない。

ショップから家までの2キロ、これが現在の走行距離だ。
天候が非常に不安定と言うことで、ゲリラ豪雨の危険性が高い本日は、これ以上の外出を取りやめたのだ。
そして、ガレージイン。


 

YAMAHA「シグナスX-SR」2012年型。カラーはブラックメタリックX。
レッドカラーとの選択だったが、やはりレッドは目立つ上に趣味バイクという印象、ブラックならば通勤としても派手ではなく、なによりもメタリックが入っているので即気に入った。Skredもパールクリスタルレッドというメタリックカラーだったが、普通のカラーとはまったく違う。高級感があるのだ。素晴らしい。




普通のシグナスXとSRの違いは、メタリックカラーとここである。
サスペンションとエンジンファン、そしてディスクブレーキキャリパーがレッド塗装されているのだ。この部分レッドと本体ブラックの相性もかなり良い。ちなみにサスペンションはイニシャル調整機構(簡易減衰調整)付きだ。




124ccの4ストロークエンジンは11馬力、今時の環境対応非力エンジンだが、原付二種でそこまでぶっ飛ばすことは(年齢的にも)まずないので、これで十分と考える。これ以上の出力を求めるならば、排ガス規制の緩い海外モデルしかないだろう。
シート下ラゲッジスペースもそこそこ広く、フルフェイス+αは余裕で入る。
何よりも、スタイリングと実用性、そこそこのエンジンを持っているのはシグナスしかなかった・・・というのもある。
(その分、燃費は他のバイクに負けている感じであるが)

このバイク、今はモデルチェンジ前なので、結構古いモデルなのである。新しくなった方がいろいろ進化しているだろうが、煮詰まったモデルには今までの実績がある。安心できるのだ。古いモデル故にエンジン設計も古いので、それが燃費に影響しているかも知れないが。




当然、正規国内モデルを買ったのだが・・・
許せないのは、このタイヤだ。なんと台湾モデルよりも5万円以上高いくせに、タイヤは「チェンシン・タイヤ(台湾製)」なのだ!
確かにこの国内仕様も台湾生産ではあるが・・・故にシグナスは台湾モデルの方が安くて装備も良くて(日本製タイヤ装着)、デメリットはメーカー保証が全くないということぐらいなのだが・・・
でも、日本仕様は国産タイヤ付けようよ(´・д・)
まあ、ネットで調べてもチェンシンタイヤはそこまで悪くないらしいけど・・・ダンロップかブリヂストンでもいいじゃない?
(Skredはブリヂストン、原付くんはダンロップが標準装備でした)

まぁ、いいや・・・危なくなったら変えれば・・・




とまぁそんな感じで、初のYAMAHAマシンなのだった。
とりあえずこれ以上雨が降らないうちに、amazonでポチったガラス系コーティング剤「シュアラスター」で軽くボディを拭き拭き。車じゃないのでそこまでのつやつやコーディングはいらないから、お手軽なやつで十分である。

さて、こうして人生初の原付二種・・・我が相棒「シグSR」が誕生したのであった。
コメント
Name   Message   

■2012年05月29日(火)  万年の急死
信じられない・・・
数日前、いや三日前までは確実に元気でエサを欲していた万年が・・・

ここ二日ばかり、仕事帰りの時間からは隠れ家から出てきてなかったので、特に気にすることもなくほっといたのだが・・・
さすがにエサをほしがる頃だろうと思って隠れ家の中を覗くと、万年の姿が。動く気配はない。

「水分中途半端な状態で寝てるな・・・・」
と思い、ピンセットで突っつくも動かず。いつもなら突っつかれたとたんに暴れ出すはず・・・

「おいおい、まさか・・・」

まさかであった。
ぴくりともしない万年の姿がそこにあった。目は濁り、完全に魂が抜けた体。

何故、どうして?
まったくわからない。冬も難なく乗り越え、丈夫さの塊のような存在だったニホンイシガメの万年。

原因不明の急死。温暖で全く問題にならない気候だったはず・・・
とにかくショックだ・・・原因解明に乗り出そうと思う・・・

外は、春の嵐である・・・


<追記>

ネットで調査したところ、詳細な原因はわからなかったが・・・
この時期、寒暖差の激しいこの春という時期は若い亀にとっては厳しい季節らしい。
突然死も増えるシーズンなのだという。
原因は水温変化、気温変化による衰弱。体質的なものもあるようだ。変温動物の亀には大変な時期であることがわかった。
・・・全く認識がなかった。勉強不足である・・・

死につながる、思い当たることが一つ。
2日くらい前に、深夜になにやら結構大きい物音がすると思って目を覚ますと、どうやら万年の方からその物音はしているようだった。
深夜だったことと、たまに万年は意味もなく暴れることから、放っておいて寝たのだが・・・
考えてみればその日以降万年は姿を見せなくなったかもしれない。
何かのサインだったのか・・・気づいてやれなかった・・・

後悔だけが残る。ごめん、万年・・・
コメント
Name   Message   

■2011年10月14日(金)  さらばSkred
それは、唐突に訪れた。
いや・・・以前から問題になっていて、いつかはこうなるときが来るのはわかっていた。

愛車であるSkred(スカイウェイブ250タイプS 限定色パールクリスタルレッド)だが、ここ最近は本当に乗らなくなってしまっていた。今年なんか一度跨っただけでは・・・と思えるほどに。
理由は多々あるが、最も大きいのは「バイク仲間が周りにいなくなった」ということだろう。かつてツーリングした連中は皆バイクを捨てた。一人ツーリングできるようなσ(^^)ではなかったので、使用頻度が激減してしまったのだ。
もうひとつは、やはり125cc以上は普段使いに向かないという事実だろう。駐輪場もたいていは125cc未満限定。250スクーターは非常に巨躯なため、そこらに置くこともできない。ちょっと乗るのにはあまりに不便すぎるのだ。

家での置き場も問題だった。「使わないくせにでかい邪魔者」としか見られていなかったSkred。年に数回エンジンを試しがけされるだけで、あとはバッテリーが上がるのがイヤだったのでバッテリーすら抜かれた状態で放置されていた。

バイクとしてはあまりにかわいそうな処遇。
すべてσ(^^)がいけないのだが・・・本当に懺悔したい気分だった。


休みの日・・・バイクの買い取りサービスについて調べていたところ、「一括見積もり依頼」の文字が。試しにやってみるか。最初は軽い気持ちだった。
項目を入力・・・一括査定をする、というボタンを押すと、送信されましたの文字・・・

刹那、本当に5秒後、いきなりケータイに着信。
「バイク買い取りについてお電話したんですが・・・」と業者。

はええええええええええ!!!ドンだけ早いんですかあんた。今更試しにやっただけと言うのもなんなので、なんだかんだ出張査定してもらうことになった。
その後も、数分〜数十分で3社から問い合わせ。凄い世界だ。マジで連絡が早い。

ここにきて、本当に売る気配濃厚。腹をくくってSkredを最後の洗車。




ハム太郎に見送られるSkred・・・




ハム太郎「また、相棒を失うんだね。オイラはPC-98も看取ったから、気持ちはわかるよ」
ああ、不幸な持ち主の元で放置されるより、少しでも必要な人のところへ行って使ってもらうことにしたんだ。その方が絶対Skredにとってはいいんだって・・・
ハム太郎「うん、でも・・・最後に乗ってあげたかったね」
それだけが悔やまれる。最後にロングツーリングして、相棒と呼べるまま手放したかった。今や、ただの怠け者に虐げられたバイクになってしまっているのだ。




もうすぐ業者が来る・・・買いたたかれるかもしれないけど、再び売りに出された方がコイツにとっては幸せなのだ。
あまり乗ってないせいか、エンジンはすこぶる好調。外観もホコリを落とせばまだ綺麗なのだ。
しばし、Skredと沈黙の時間を過ごす。


数時間後、Skredは業者のトラックに乗せられて去っていった・・・



2004年8月11日納車(過去日記参照)
2011年10月13日売却・・・思えば7年にもなるつきあいだった。
しかし、乗った距離・・・8300キロ。あまりに少ない。前半3年と後半4年で扱いが全く違ってしまった。その間に、Skredも型落ちの型落ちとなって・・・
売却価格はたいした問題じゃない。安かったけど・・・
最後は本当に邪魔者扱いしかされなかったけど、本当に乗り心地の良い、その点では文句のつけようがないバイクだった。ただ、日常使いに適していなかっただけなのだ・・・

最初にクーポンで軽くステップとプーリーカバーをカスタム。
マフラーを世田谷まで買いに行ってカスタム。
軽度の事故一度、その時にハンドル周りとメーターをカスタム。
上品で控えめだが、非常に格好いい、ちょうどいいカスタム具合だった。思えば一目惚れで買ったこの限定色。最後まで本当に大好きだった。もう、普通の赤バイクは乗る気がしない。パールクリスタルレッドが最高だったのだ。

さらばSkred・・・引き取ってもらったのが感じの良い業者だったので、きっとすぐ店頭に並べてもらえる。そして、限定色を気に入った人と、またツーリングに行ってくれ。

何度も言うが、スカイウェイブ250タイプS(CJ-43A)はビッグスクーターの中でもきわめて優れたバイクである。少なくとも同年代の他車よりは良かった。これで、スズキを好きになったのは確かだ。

がらんとしたガレージを見ると、何ともいえない申し訳なさがこみ上げてくる。
もっと乗ってやれば・・・
いや、ここは数々の思い出を共にした愛車に言うべきだろう。
「Skred、7年間ありがとう!」
コメント
  • さえ(2011/10/17 14:18)
    寂しいですね(;_;)茨城は日常的に、でかいバイク走ってるのしょっちゅう見ますが…やっぱり田舎だからかな。都会だと尚更乗りにくいですょね(;_;)乗り物って、日常使い重視か趣味重視かでえらく変わって来るからホント難しぃと思いますょ(T_T)
  • 絵寝(2011/10/19 00:08)
    本当にその通り。そもそもでかいバイクなんて実用よりも趣味よりなので、趣味として扱わなくなると出番がなくなるのですよ。スポーツカーに似た扱いかな。普段使いで近所ならどこでも停められる原付君で十分だし。逆に遠出メインだと必然的に排気量の大きいヤツが必要になるんですけどね。難しい問題です・・・ ʅ(◞‸◟)ʃ
  • ボム(+・`ω・)9(2011/10/20 20:57)
    ついにひとつの時代が幕をおろしたね。ちょうどカリの成長とともにあったようなスカレッドだっただけに今の状況とシンクロして息が詰まる。いつまでも同じ環境では暮らしていけない。激動の現代だからこそ安定よりむしろ変化を受け入れて行かなくてはいけないのかもしれないね。ユリにとっては子供を失うに等しい喪失感もあると思う。しかし、勇気ある決断に勇気をもらったよ。
Name   Message   

■2011年07月14日(木)  あまりに唐突の訃報
またも訃報があったので、雑記を自粛していました。葬儀が終わったので再開します。

いつも、死というのは突然のことだ・・・と書いたのが約二ヶ月前。
祖父祖母と高齢の二人を亡くし、もうこういう記事を書くこともないだろうと、いや、そんなこと考えてすらいない、あまりに日常のある日。

7月5日、叔母(父方のきょうだい)が逝去した。二ヶ月前亡くなった祖母の一番下の娘だった。

いや、葬儀を終え、叔母はすでに骨壺に入ってしまったが・・・そんな今でもあらゆる実感が全く感じられない。祖母の葬式にも元気に参加していた叔母が、わずか二ヶ月でいなくなってしまったのだ。

プライベートマックスなことなので今回はこれくらいにしておこう。
とにかく、元気でいた人が次会うと棺の中で目を閉じている・・・
まったく実感がないのだ。何度も言うが実感が沸かない限りどうしようもない。

とにかく明るく、すべてに気が回る、世話好きな人だった。親戚づきあいの中心人物だったので、叔母がいなくなってしまったこれから、まさに親戚の絆が試されるのであろう。

天国で両親(σ(^^)にとっては祖父祖母)と再会できたかなぁ。
コメント
  • BoN(2011/07/14 21:40)
    あの人ほどパーフェクトな人はいない。才色兼備を体現する素晴らしい人だった。世話焼きなのにスマートな身のこなし、カッコイイ人だった。どうしようもない泣き虫だったオレを優しくケアしてくれた。オレの中に永遠にあの人は生き続ける。まさに理想の女性だった。今までありがとうございました。安らかにお休みください。
  • とも(2011/07/14 22:43)
    確かに親戚同士を今日のカタチまで持ってきてくれたのは叔母のおかげ。でも、叔母がいなくなったからって私たちの絆が試されるとか、そういうもんじゃないと思う。叔母が築いてくれたものを壊さないように大切にしていくのが私たち一人ひとりの使命だと思ってる。試されてはいない。思い切り生意気な身内なコメですみません。
  • 絵寝(2011/07/15 21:19)
    身内コメ自重状態になっちゃった( ´ー`)y-~~ みんなこれからも仲良く頑張ろうねぇ。
Name   Message   

■2011年05月06日(金)  喪に服す
ゴールデンウィークが終わりましたね。
本当は早いうちに雑記るつもりだったんですが、急なことがあったもので自重しておりました。


■祖母の急逝

4月30日夜、突然の一報。
やはり死は突然だ。これは間違いない。4年前(祖父の時)も突然だった。
今回も前回も、介護施設から病院に移っており、よく考えればいつ訪れてもおかしくはない死だったのだが、予定調和ではない。やっぱり突然なのだ。

血縁の死は前回の祖父しか比較対象がないため、どうしてもそのような文章になってしまいがちだが、電話一報ではまったく実感がない。ただ、どうすればいいのかとオロオロするばかりだ。そして実際何も出来ることはない。喪主でもなし、ただ葬式まで待つだけなのである。

連休中に仕事が一日あったため、通夜には参列できずだった。告別式には出るから問題ないだろうということだったが、やはり出るべきだったかもしれない。その代わり四十九日は参加することを決めた。


▲プライベートな文字、写真はフィルタをつけています

告別式の日。
綺麗に飾られた祭壇(←正式名称)。
祖母は綺麗に死化粧されている。
ゆかりの寺から導師さまがきて、お経を読む間に焼香。初七日も同時に行った。

祖父の時もそうだったが、飾られていた花をすべてお棺に入れて飾り付けをする際に涙が・・・思えば、子供の頃から祖母が訪れてきた際、帰り際に必ず泣いていたのを思い出した。この涙は今生の別れの証になってしまった。
生花で一杯になったお棺は本当に綺麗で、祖母をやさしく包み込んでいた。目を腫らしながら、最後に祖母の顔に触れると、とても冷たかった。




気を取り直して、火葬場へと向かう。
祖母を乗せるのはメルセデス・ベンツE430の霊柩車だ。ベンツの中でも指折りの名車改造の霊柩車で、祖母も乗り心地が良かったに違いない。にしても、霊柩車にすると車体がずいぶんロングになるものである。

最後に焼香をし、お棺を炉の中に見送ってから精進落とし。
祖母は享年91と大往生なため、親戚一同で楽しく過ごさせていただいた。
お骨を拾うときに、担当の方が「よく形状をとどめている」と感心していて、祖母は健康体だったのだなぁと実感した。それが社交辞令だとしても、91で体も小さかった祖母のお骨が壺にほぼ満たされているのを見ると、事実だと思いたい気持ちだったのだ。

祖父の時といい毎回思うのだが、自分が小さい頃は帰る際に泣いたりするくせに、大きくなると会いにも来ず、近年ではお棺に入るまでほとんど顔を合わせなかった
ようなσ(^^)はなんというか、実に不甲斐ない。そんなことではいざ亡くなっても実感なんか沸くはずもないのだ。
世間の多くで孫という立場はそんなものかもしれないが、悔しい気持ちが残ってしまった。
ただやはり、子供の頃ながらに世話になっていた記憶は脳の深部に残っているのだろうか、σ(^^)よりも祖母と過ごした時期の長い兄(broBON)はずっと涙を隠せずにいたようだ。
しかし、本当に久しぶりに泣いたもんだから目が痛いんだ。

葬式のすべてが終わり、日常が戻ってきた。
祖母は連れ合いを40年ほど前に亡くしていたから、今頃は遙かの地で久しい再会を喜び合っていることだろう。
思えば、祖父も死の30年ほど前に連れ合いを亡くしていたのが思い出された。
長年離ればなれだった夫婦が再会できるのだと思うと、悲しいばかりでもないのかもしれない。当然、天寿を全うしたと言える年齢だったからこそ、なのだが。
そうして先人の死を超えて、我々は歩いていくのだ。

(追記)
祖父の時もふと思い出されたのだが、結構前のフラッシュ動画黎明期に発表された名作フラッシュ動画がある。
大切な人が亡くなったとき。心にジンとくるんだ、コレが。ハンカチを持ってご覧あれ。
- WALKING TOUR -
(もとはフラッシュ動画だが、誰でも見やすいYoutubeバージョンを紹介)
コメント
  • BON(2011/05/07 20:26)
    祖父がいなくなってから祖父を思い出さない日はないといっていい。いつも頭の片隅にある。祖父と祖母には感謝と尊敬の念しかない。そして今、祖母を失って私の胸(心)は大きな穴が空いた。私にとって祖母は幼少期をケアしてくれたかけがえのない人。今になって感謝とそのありがたみを痛感している。なんでもっと一緒にいなかったのか、ふがいない自分を殴りたくなる。。逝った日は奇しくも私にとってともに苦楽をわかちあった男の誕生日でもある。一生一日たりとも忘れないだろう。そして改めて感謝したい。素晴らしい家族・親族を作ってくださった人生の大先輩に。今まで本当にありがとうございました。これからも温かく見守ってください。おばあちゃんのお陰で今の私があります。
  • とも(2011/05/07 21:33)
    ステキな巡り会わせを造ってくださった、おばあちゃんに感謝です。私達はこれからもその遺志を受け継いで前を向いて歩いていきましょう。みなさん、おつかれさまでした。
  • 絵寝(2011/05/09 23:43)
    我々の絆のもと、そしてルーツがひとつ失われてしまった。これからも、ちゃんと絆は保たれていくのだろうか・・・
  • さえ(2011/05/11 16:14)
    おばぁちゃんの御冥福をお祈りします。ぅちのおばぁちゃんは高校生の時に亡くなったけど、あたし毎日思い出してます。BONさんはえねさんの実兄さんだったんだね。
  • 絵寝(2011/05/11 21:23)
    祖父祖母の記憶って子供の頃のものが強いから、永遠なのかもしれないですな。そう、broBONは実兄でありんす(`ェ´)
  • そ(2011/05/13 07:26)
    俺も去年、親父の実家が火事で全焼し、じいちゃん死んでしまいました。直系なので俺と親父は悲しんでる暇もなかったけど、本当に辛かったのが今でもすぐに思い起こせます・・・。お悔やみ申し上げると同時にご冥福をお祈りいたします。
  • 絵寝(2011/05/14 23:22)
    火事で全焼とは・・・いたたまれない事実ですな・・・ そう考えると、病院で天寿を全うできるということはとても幸せなことなのでしょうね。 震災もあった今、ホントにそう思います。 皆さんありがとう(´ρ`)
Name   Message   

2012年 9月

1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30

vin->
□ 雑記カテゴリ □
>> 最新記事 <<

ゲットアイテム
本日のモノ
休日・旅行etc
カメラ・フォト関係
動画付き雑記
レビュー・感想
最近のブーム
インターネット
日常的事件!
小ネタ
フト、考えた。
癒し系
ヘコみ系
写真で近況
観察日記(虫とか)
時事・ニュース
ただの駄文
ビッグ・フォト
トアルデキゴト
二次元イラストCGs
長期のまとめ

■ カテゴリ別 ■
■ 最新10件リスト ■


09月19日 新たなる相棒!
05月29日 万年の急死
10月14日 さらばSkred
07月14日 あまりに唐突の訃報
05月06日 喪に服す
08月11日 ちいさな命のお話
01月08日 突然の忌引連休


雑記全タイトルリスト


§ ここまでの足跡 §
要するに過去の日誌です
(新ウインドウで開きます)

Webmaster
近影
ENEMY、絵寝

適 正(属 性)

Ski - (video)Camera - Car - Game - PC - Trip - Outdoorwear - Oakley'seyewear - Internet - CGillust - StrayCat - WasteRoad(tunnel) Huge building & Steel frame
デモ キホン ヒキ-



Powerd by えくすりあ
/
+62000くらい