昨日は雑記開始以来はじめて、一日の記事が二つになったよね。
んなこたぁいい。ラストスパートで、最後すっ飛ばしていきます!
マジで写真のみ!だって観光だから・・・この雑記でいちいち説明いらないっしょ。
宿のフロント正面にも八重の桜。会津若松の至る所に
蓼丸さん綾瀬はるかのポスターがある。
鶴ヶ城の案内には、マスコットキャラクターの八重たんの姿。
おみやげコーナーは八重たんの独壇場である。
大河スゴスなぁ。
鶴ヶ城に入る。この立派な石垣は築城当時のものだとか。
当時の物っつーのはいいですな。
今現在日本で一番アツイ城、鶴ヶ城!
だがしかし、戊辰戦争でズタボロになったので、そのすべては復元なのである!
最近、築城当時の赤瓦に作り替ている。天守閣内部は資料館となっていて、最上階まで登ることが可能だ。
撮影可能の殿様席があったので、Mktinにお殿様してもらった。
けっこう恥ずかしかったらしい。
一気に天守閣をのぼり(資料館撮影不可)、最上階展望台から南走長屋を見下ろす。
今回は行かなかったが、ここにも入れるようだ。
南走長屋方面から天守閣を撮影。
こちら側からの写真がもっとも有名かもしれない。
付近には、幼稚園〜小学校低学年くらいの修学旅行グループがわらわらといた。彼らには退屈じゃないだろうか?
城の片隅には、滝廉太郎の名曲「荒城の月」碑がある。
なんでも、一説ではここの城址にて作詞家・土井晩翠が構想を練ったとか。他説もあるらしい。
城にふさわしく、立派な松が石垣によく似合っていた。
せっかくなので、鶴ヶ城横にある福島県立博物館も見学。
石器時代から近代に至るまでの土地のものがいろいろと紹介されている。まぁ歴史の教科書かな。
多くは復元されたモノであるが、たまにこの真ん中の看板のように、当時の物が展示されているからなかなかアツイ。
見たところ、何の看板かさっぱりわからないが・・・
昭和初期のボンネットバスが展示されているコーナーで、マニアックたちが変なところに注目していた。
「これは・・・BS(ブリヂストン)履いてますね」
「こっちはヨコハマ(タイヤ)だなぁ・・・何故違うタイヤを履いているんだろう」
こらこら、目の付け所おかしいって。
ここには、なんと田子倉ダム発電所で使われている碍子の原寸大が置いてあった。
大きさ比較用たばこと。とにかく、めちゃくちゃでかい!俯瞰なので大きさがわかりにくいが、超でかかった。
その後、歴史をたずねて白虎隊で有名な飯森山へと向かった。
まずは腹ごしらえだ!
おみやげ屋併設の、団体観光客でやかましい店、とらぞうで名物・ソースカツ丼を食す。
目の前の大型液晶テレビでは、「八重の桜」第一回放送が録画で流れていた。
味は、衣サクサクで美味。
そのまま山へ。
まずは、白虎隊記念館で当時の面影をかいま見る。
余談になるが、展示形式と規模から察するに、これは個人の所蔵物を展示したものだろう。
マニアックな我々は、記念館横に停めてあった(放置されていた?)謎の乗り物にも興味津々だ。
でも、ナンバーがあったから現役かもしれない・・・ボロボロだったけど。
そのまま飯森山で、白虎隊の足跡をたどる。
この水堰は戊申戦争時に白虎隊が潜ったといわれる・・・まぁ、説明書きの通り。
本当に潜れたのかというくらい、蕩々と水をたたえていた。
飯森山はさすが有名観光地と言うことで、鶴ヶ城と同じくらいの人の入りだ。
それでも寂しさは禁じ得ないほどだが・・・
ここにも、鶴ヶ城と同じく小さな修学旅行集団がいた。中学生の班別行動している修学旅行生もいたなぁ・・・
そして名物(?)さざえ堂へ。
この日はとても暑かった・・・異常なくらいに(29℃)。だが、木々が日差しを遮ってくれるこのあたりは、幾分落ち着くことができた。
上二枚の写真はG5のHDRモードで撮影。
白虎隊士の墓に線香を供えた(有料)あと、いよいよここにやってきた。
「白虎隊終焉の地」である。景色のいい場所で、会津若松市内が一望できる素晴らしい展望スポットでもある。
彼らは、ここから鶴ヶ城を見て「落城(炎上)した」と勘違いしたために有名な悲劇が起こったのだが・・・
見えるだろうか、鶴ヶ城が!!(縮小写真じゃ無理か・・・)
↑の写真の中央部を拡大!
どうだ、しっかりと見えるではないか!何故か、手前にある中波アンテナ(NHK)が城の中央をぶった切るように建っているが・・・
まあ、かえってわかりやすいかも。「ほら、あの高いアンテナのところ!」って、言えばね・・・
(過去に景観の問題で新聞にも載ったそうです・・・)
さてお次は、この建物だ。
内部にあるのは、戊申戦争時の刀傷が残る貴重な柱と・・・
これまた貴重な、当時の鉄砲の弾痕が残っている引き戸・・・
当時のままの建築は非常に文化財価値が高いが・・・何故壊されずに残ったのか?
そう、ここは旧会津藩の本陣だったからである。
天皇の御所となる建物は、そう簡単に壊せないというワケか・・・
ちなみに、国の重要文化財指定を受けている。時代が時代なだけに国宝はないと思うので、最高ランクではないだろうか。
お客いなかったんだけど・・・(場所がわかりづらいってのも大きい)
さて、このマニアックツアーもいよいよラストの場所となった。
二日目は一転して文化的観光であったが、最後の最後まで、会津の歴史を学ぶのだ!
そう、ここは・・・何故か普通の住宅地を過ぎたところに移築された「会津藩校・日新館」である。
江戸末期当時、全国随一とされた学問所である。
関係ないが、平日で人もホントまばら・・・にもかかわらず、この正門前で「記念写真いかがですか〜一枚1000円です」とかやっていた。商売根性すごすぎだろ・・・
カメラを見たら「EOS 7D」だったので鼻で笑って通り過ぎてやった。
(メンバーのBossと同じカメラだったからである、カネを払って撮ってもらう価値はない)
さて、正門をくぐるとまず目にはいるのがこれ、「大成殿」だ。
中には、孔子の像がまつられていた。日新館でもっとも重厚な建物である。
日新館内部は、このように人形が展示してあったり、読み書きをする録音が流れていたりと、当時の白虎隊士を含む10代の少年たちがどのようにここで学んだか、がわかりやすく展示されている。
その他、当時の教科書展示や弓道場、乗馬訓練場などもあった。
会津民芸品である「起き上がり小法師」が置いてあったのだが、八重たんバージョンがあった。
非常に珍しい(?)ので、絞り開放でそれらしく撮影。
校内には、日本最初のプールといわれる水練場がある。
かなりの広さで、現在の25mプールがすっぽりと入ってしまうほどの広さだ。
現在は鯉が棲んでいて、エサを買って撒くことが可能だ。スタッフは誰もいないけど・・
こうして、天文台を見学して(ただの高台だが)から、裏口を抜けて終了となる。
当時はここに1000人を超える生徒が学んでいたらしい。
ここも桜が満開であった。
なにやら風雲急を告げるで天候が悪化し、風が吹いてきたところで・・・マニアックツアー全行程終了である。
最後に駐車場脇のセブンティーンアイスをかっ食らってから、クルマに乗り込んだ。
磐梯山が美しい。天候が良ければもっと美しかっただろう。
那須野塩原〜会津若松で、ダム、鉄塔、落橋、桜、そして会津の歴史を見ることができた、有意義な旅であった。
マニアックツアーは旅程担当Bossのタイムスケジュール通りに行動するのだが、こういった予定通りの旅行もまた楽しいものである。
Bossのいない廃道ツアーなんかは、好き勝手やるために時間が読めなくなるから・・・
また、秋にツアーを敢行しようと思う。