さて、続きといきましょう。
前回、凄まじき県道515号線を終え、我々は次の目的地へと赴くのだった・・・
ここからは、時系列ではなくなることがあるのでご了承いただきたい。
途中の集落あたりでは、写真のような廃鉄塔も見受けられ・・・
その他、高規格鉄塔とローカル鉄塔のコラボ、かなり古い規格の鉄塔群など・・・なかなか鉄塔マニアにも受けそうな場所であった。
心地よいワインディングを1時間ほど走ると・・・
いよいよ、道はメインの県道から旧道へと梶を切る。鬱蒼としてくる景色に、否が応でも期待は高まるのだった。
しかし・・・不安もあった。この先にある隧道は6年前に来ているのだが、それ以降のことはわからないのだ。もしかしたら、通れない可能性も・・・
クルマを停めて、廃道へと乗り出すチャレンジャーたち。
簡易三脚がぶっ壊れてしまって(あきばお〜め・・・)仕方なく地面置きで撮ったこの写真だが、旧道感が出ていて非常に良かった。
これより、隧道以降はすべて廃道となる。
アクセスは東京方面から(反対側は山梨方面)。クルマを停めた位置からは隧道は近い。カーブを一つ曲がるだけだ。
そしてこの倒れかかった標識が見えると、隧道は目と鼻の先。
この倒れかかった感じも、6年前と変わっていないように思えるのだが・・・
「旧雛鶴隧道」1934年(昭和9年)竣工 高さ3.5m 延長252m 幅員は不明。
6年ぶりの対面だ。そして、季節柄藪が濃い以外は特に変わりがないようにも見える。
ここは日帰り圏内にありながら、安全に廃隧道を経験できる好スポットだ。
某廃道本にもバッチリといい写真が載っている。
周りの雰囲気といい、隧道自体といいかなり素晴らしい廃隧道だ。ちなみに東京側抗口に名前を記した扁額は見あたらない。
この立ち入りを制限する柵部分も、変わりがない。
6年という長い歳月だが、人が立ち入ることが極端に少ない旧道部分の劣化は、最小限で収まっているようだ。向こう側に光がしっかり見えるので、通じているようだ。
ひとまず安心である。
この、柵の真ん中に開いた部分から身をかがめて隧道内に進入できる。
この旧雛鶴隧道は、二つの顔を持っている。
下の写真で一目瞭然だろう。
入り口と出口付近は、コンクリートで巻いてある現代的な作りであるが、中間部分だけは地山むき出しの素堀隧道となる。
実はこういう作りは昔の隧道ではよくあるのだが、いかんせん現役道路の隧道となるとオールコンクリートが圧倒的主流である。故に、珍しいかもしれない。
ちなみに、隧道内は真っ暗闇なのでライトは必携である。
所々壁が崩落しており、足下の石や頭上からの落水にも警戒した方がいい。
隧道内で声を発するとものすごく響き渡る。
人気のない廃隧道内ならなおさらである。真っ暗闇で声がやたら響くという、通常あまり体験しない「ならでは」の感じを味わった後、反対側へ抜けた。
旧雛鶴隧道、山梨側(都留市側)抗口。
こちら側にはしっかりと扁額があり、左から「雛鶴隧道」と書かれているのがわかる。某廃道本には、こちら側の写真がでかでかと載っていた。
さて、山梨側はわりと廃道部分が多いので、歩いてみることにしよう。
「都留市」と書いたプレートが、逆方向を向いてしまっている。こちらに誇示してもしゃーないだろうに・・・
そして6年前はここに確かにあった「白い廃車」が跡形もなく消えていた。市が処理したのだろうか?(ここは旧県道だから県かも・・・)
それにしても、隧道前は土の体積があるとはいえかなりの藪だ。夏に廃道に来ることはいろいろな意味でリスキーである。
雛鶴を通る山梨県道35号線の廃道区間。
ここは前回の神奈川県道515号に比べれば遙かに歩きやすい廃道だ。まああちらはかなり「キテる」廃道なのであたりまえなのだが。
散歩がてらのような気楽な気分で歩く。
ガードレールに残された役目を果たしていないデリニエータが、植物に絡まれて美しかった。
心癒される廃道風景。
自然に帰りつつある、かつてのメインロードから視線を上に移すと、山間に走る一つの送電鉄塔が・・・
こんな風景を求めて、我々は廃道を訪ねるのかもしれない・・・
廃道区間は思いの外長かった。
我々はとあるカーブにあるこの「謎の廃屋」を折り返し地点にして戻ることにした。
この廃屋・・・謎だらけだ。廃道区間にぽつねんとあるだけなのだが、そう古くは見えない。そして、窓ガラスから扉、窓枠まですべて石のような固いモノで傷がつけられている。
中にはキッチンのようなものが見えたので、コテージのような感じだろうか?こんな人里離れた道路脇に?一軒だけ?
・・・ますます謎であった。
そんな感じで懐かしき旧雛鶴隧道を後にするのだった・・・
この次は昼飯&温泉にありつくため、大月まで出て、そこから国道139号線を北上。
途中で狭いワインディングの先に首都圏型ダム「葛野川ダム」がある(前に訪問済み)が、この狭いワインディングを経由する新道が建設中であった。
そして、丹波山温泉「のめこい湯」で休憩、午後の部と相成ったのである。
さて、午後は奥多摩方面を攻めた。その記録は後編に紹介するとして、ここではその後に訪問した、廃道ツアー最後の訪問となった地を紹介する。
ここは某淳二がテレビで「心霊スポット」として大々的に紹介したために、若い連中が殺到してしまった悲運の超有名廃道なのである。
まずクルマで現道を速やかに通過。新隧道を抜けてすぐに旧道入り口があるのだ。
クルマをゲート前に停車。
降りて歩くと・・・ものの1分も待たずにそれは姿を現す。
お手軽すぎるのも、肝試し連中に人気だった理由かもしれない・・・
「旧吹上トンネル(吹上隧道)」1953年(昭和28年)竣工 高さ4.2m 幅員5.5m 全長245m。
この隧道も雛鶴と同じく、廃道本にでかでかと載るほどに有名かつ、雰囲気も素晴らしい隧道だ。
今も歩行や自転車は行き来できるので、厳密には廃隧道ではない。しかし、車を通す県道としてみれば廃隧道である。
(かつてσ(^^)はここをバイクで通り抜けたし・・・)
埼玉側抗口。扁額もしっかり残っている。
さほど古くない隧道のためか、内部は崩落もなく上々。すべてコンクリート巻きで雛鶴に比べればなんてことはない、古いトンネルくらいの感じだ。
地味に電気も通っていて、照明も所々ではあるが点灯している。このあたりも廃隧道とは違う雰囲気だ。まぁ、照明が少しばかりあっても、不気味なたたずまいに変わりはないが・・・
道路部分はすべてアスファルト、やや濡れた感じが写真からも伝わると思う。
反対側(東京側)抗口。こちらもなかなかの雰囲気だ。
現在も車以外ならば一般的に使用可能だが、東京側の廃道区間の長さと、独特の(心霊スポットに選ばれたほどの)不気味さを持つこの吹上隧道。果たして日常使いをしている人がいるのか、は甚だ疑問である・・・
吹上峠を通る東京都道28号線の旧道(廃道)区間。
様々な、現役都道だった名残の看板や標識といった遺構を目にすることができる。
この看板は「車はこの先通り抜けできません この場所で折り返してください」とある。ツタに絡まれた感じがナイス。
覆い被さる緑に浸食されつつある、三連標識と道路灯。
ほどよく時の流れを感じさせる。この旧道は昭和60年まで使われていたから、さほど古いものではない。
ああ、いい感じだ。体の疲れを引きずりながら(詳しくは後編にて)もシャッターを切る腕に力が入る。
同行のMKtin曰く「廃カーブ」。
うむ、なかなかいいネーミングだ。長い間タイヤを通していない路面は雨水の流れた後がそのままに、そして周囲は少しずつ緑の領域へと・・・
ちなみにあのガードレール部分は、両端にあるはずのガードレールが片側に寄せられていたものだった。何のために、だろう?
さて、吹上を知っている人ならわかるだろうが、吹上隧道探索はこれで終わりではない。
そう、かつても踏破済みだが、この吹上には「旧旧トンネル」が存在するのだ。
夏という緑覆い被さる中、我々はついにその道跡を見つけた。
日が落ちようとしていて暗い中、さらに森の中を行く。
・・・ここが明治時代の道、都道28号線の旧旧道である。
写真がぶれまくりなのは、暗さに強いメインデジカメであるX10が電池切れを起こしたため、やむなくこの吹上のみ、サブカメラのCX4に換えたためである。
暗くジメジメした道を、藪をかき分けながら進む。途中に倒木もあり、旧旧道と知らなければ絶対通らない獣道だ。
そして、ついにたどり着いた。
「旧旧吹上トンネル(旧吹上隧道)」1904年(明治37年)竣工 高さ3.6m 幅2.8m 全長120m。
首都圏において貴重な煉瓦巻きの明治隧道だったが、やはり調べたとおりに鉄板で塞がれている。
この隧道、6年前にやはり訪問しているが、その時は問題なく通行できた(当然立ち入りを制限するフェンスはあったが)。
しかし今やこの厳重な封鎖態勢である。
近づいてみたが、溶接により完全に封鎖されていた。
肝試し軍団の騒ぎが原因(近所に住人がいるため)かと思ったが、どうやら内部崩落による危険のためであるようだ。
確かに6年前もかなり内部はひどい様子だった記憶がある。
にしても、貴重な煉瓦巻き明治隧道が・・・もったいない話である。
つぅか、ここはものすごく蒸し暑く、藪のまっただ中なので虫がひどい!とっとと退散だ。
ただの獣道にしか見えなかった旧旧道だが、帰り道に藪の脇から覗いてみると・・・
確かに道であった痕跡がある。路肩を構成する石垣だ。
それもそのはず、この道は旧道が完成する昭和27年まで現役で車も通していたんだから・・・
現状ではちょっと信じられないが・・・
だってこれが旧道から旧旧道へ入るアプローチルートだぞ??
ていうか、道の痕跡、わかる?
これが道だとわからないと、少なくとも東京側からは旧旧トンネルにはたどり着けないのだ。
冬なら下草が枯れてわかるかもしれないが、夏は上級者向けである。
これですべての探索を終えた。
我々は、一息つきながら水分補給をした。もう夕方だというのに、なんて暑いんだ・・・
現道である新吹上トンネルを眺めながら一服するのだった。
この後、MKtinが財布を無くすというトラブルがあったのだが、それはまた別の話である・・・
今回訪問した隧道たちは、以前にも訪問した、σ(^^)にとっては懐かしの隧道群であった。
その姿がこれ以上変わることのないように願いたいものだ。どちらも、廃隧道としても廃道としても、なかなかの雰囲気だからである。
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次回は、後編として奥多摩編をお送りする。
(長文雑記は時間もかかるし、疲れる・・・('A`)y-~~~)