ゴールデンウィークが終わりましたね。
本当は早いうちに雑記るつもりだったんですが、急なことがあったもので自重しておりました。
■祖母の急逝
4月30日夜、突然の一報。
やはり死は突然だ。これは間違いない。4年前(祖父の時)も突然だった。
今回も前回も、介護施設から病院に移っており、よく考えればいつ訪れてもおかしくはない死だったのだが、予定調和ではない。やっぱり突然なのだ。
血縁の死は前回の祖父しか比較対象がないため、どうしてもそのような文章になってしまいがちだが、電話一報ではまったく実感がない。ただ、どうすればいいのかとオロオロするばかりだ。そして実際何も出来ることはない。喪主でもなし、ただ葬式まで待つだけなのである。
連休中に仕事が一日あったため、通夜には参列できずだった。告別式には出るから問題ないだろうということだったが、やはり出るべきだったかもしれない。その代わり四十九日は参加することを決めた。

▲プライベートな文字、写真はフィルタをつけています
告別式の日。
綺麗に飾られた祭壇(←正式名称)。
祖母は綺麗に死化粧されている。
ゆかりの寺から導師さまがきて、お経を読む間に焼香。初七日も同時に行った。
祖父の時もそうだったが、飾られていた花をすべてお棺に入れて飾り付けをする際に涙が・・・思えば、子供の頃から祖母が訪れてきた際、帰り際に必ず泣いていたのを思い出した。この涙は今生の別れの証になってしまった。
生花で一杯になったお棺は本当に綺麗で、祖母をやさしく包み込んでいた。目を腫らしながら、最後に祖母の顔に触れると、とても冷たかった。

気を取り直して、火葬場へと向かう。
祖母を乗せるのはメルセデス・ベンツE430の霊柩車だ。ベンツの中でも指折りの名車改造の霊柩車で、祖母も乗り心地が良かったに違いない。にしても、霊柩車にすると車体がずいぶんロングになるものである。
最後に焼香をし、お棺を炉の中に見送ってから精進落とし。
祖母は享年91と大往生なため、親戚一同で楽しく過ごさせていただいた。
お骨を拾うときに、担当の方が「よく形状をとどめている」と感心していて、祖母は健康体だったのだなぁと実感した。それが社交辞令だとしても、91で体も小さかった祖母のお骨が壺にほぼ満たされているのを見ると、事実だと思いたい気持ちだったのだ。
祖父の時といい毎回思うのだが、自分が小さい頃は帰る際に泣いたりするくせに、大きくなると会いにも来ず、近年ではお棺に入るまでほとんど顔を合わせなかった
ようなσ(^^)はなんというか、実に不甲斐ない。そんなことではいざ亡くなっても実感なんか沸くはずもないのだ。
世間の多くで孫という立場はそんなものかもしれないが、悔しい気持ちが残ってしまった。
ただやはり、子供の頃ながらに世話になっていた記憶は脳の深部に残っているのだろうか、σ(^^)よりも祖母と過ごした時期の長い兄(broBON)はずっと涙を隠せずにいたようだ。
しかし、本当に久しぶりに泣いたもんだから目が痛いんだ。
葬式のすべてが終わり、日常が戻ってきた。
祖母は連れ合いを40年ほど前に亡くしていたから、今頃は遙かの地で久しい再会を喜び合っていることだろう。
思えば、祖父も死の30年ほど前に連れ合いを亡くしていたのが思い出された。
長年離ればなれだった夫婦が再会できるのだと思うと、悲しいばかりでもないのかもしれない。当然、天寿を全うしたと言える年齢だったからこそ、なのだが。
そうして先人の死を超えて、我々は歩いていくのだ。
(追記)
祖父の時もふと思い出されたのだが、結構前のフラッシュ動画黎明期に発表された名作フラッシュ動画がある。
大切な人が亡くなったとき。心にジンとくるんだ、コレが。ハンカチを持ってご覧あれ。
- WALKING TOUR -(もとはフラッシュ動画だが、誰でも見やすいYoutubeバージョンを紹介)